負の連鎖を断ち切る難しさ
2023年、娘が18歳、成人を迎えました。
成人したと言ってもまだまだ幼い現役高校生です。
社会のことなど何も知らないのに成人って…と
成人年齢を引き下げた政府に思うところはありますが
国が決めたことだから仕方がない。
3歳で離婚してから15年間シングルマザーで育てた娘が
ついに成人なのかと思うと非常に感慨深いもので泣けてきました。
なんとかやり切ったな、という安堵の思いと
もっと上手に育ててあげたかったなという懺悔や後悔の念と
それでも自分は精一杯頑張ったんだという自分に対する承認欲求みたいな感情と、
人知れずおいおい泣きました。嗚咽が漏れるほど。
これを書きながらまた無意識に涙が溢れてくるふしぎ。
娘は思春期真っ只中で、母である私のことが大嫌い。
思い返すと、小5あたりではっきりと自我が芽生えてきて
小6あたりから反抗期というものが始まったように思います。
それから中学、高校と心身の成長に伴い反抗の度合いも強まりながら
今日まで来ました。かれこれもう丸7年。反抗期ってなげぇ。
3歳で離婚といっても、夫は臨月から離婚と口走り
出産から離婚までの数年、家や家庭にはまったく寄りつかず
放置されて別居していただけなので、
妊娠出産から現在まで、ほぼ、自分一人で育てました。
この18年間、振り返ると自問自答と葛藤ばかりの人生でした。
これだけ自問自答、葛藤して生きてきたのだから
人として私もちょっとは成長できたでしょうか。それならうれしい。
娘にはこれから社会を生きていく上で伝えておきたいことが沢山あるのに
なにか話しかけても耳や心を閉ざすので、なにも伝えられていません。
人との付き合い方、数々の誘惑、自分の守り方、社会とは、世間とは。
彼女がなるべく苦しまず、うまくこの世を生きていけるように
教えておきたいことは沢山あるのに伝える術がない。
自分の無能さを痛感します。
いつか彼女が子どもをもって親になったとき、
母である私のこの気持ちや人生を理解してくれる時が来るのでしょうか。
そのときにほんとの雪解け、となるのが人生というものなのでしょうか。
振り返ると自分も同じなんですよね
小5あたりで自我が芽生え、同じく母子家庭だった母の数々の愚行に
強烈な嫌悪感を感じ母親を全力で拒絶。
私は当時バチボコにやられてましたけど(今の時代なら事件。)
結局、私のことが煩わしくなった母は私を手放しました。
捨てられた私は絶望。
ご飯を作ってもらえなくても、家に帰ってこなくても、家に男を連れ込んで
狭いマンションの1室でうすい襖1枚隔てた至近距離で男女のまぐわいを聞かされても
たった一人の母親を、たった一人の肉親を、心から嫌いになれなかった。
かわいさ余って憎さ100倍、という言葉があるように
子どもは母親への強烈な無償の愛情を持っているからこそ
自分の気持ちを理解してくれない親に、憎さも増し…ということになんでしょうね。
まぁ、こんな毒親の元で育った私が親になり、シングルマザーになり、
子どもを育てるうえで気をつけたのは、もちろん自分の母親のようにならないこと。
負の連鎖を断ち切ることに全力を注いだといっても過言ではない。
虐待や愛着障害など、この負の連鎖を断ち切るのは並大抵ではありませんでした
必死に頑張ったけど、やはり完全には断ち切れなかったということか、
私が自分の母親を嫌悪、大嫌いになったように
我が娘も母である私を大嫌いになりました。
こんなに必死に頑張ったのになー、虐待せずに育てたのになー、
けど私の何かが悪くて、娘に好いてもらえる母親にはなれなかった…。
最近世間によくいる母娘とても仲のいい親子。あんな風になりたかったのになー、、と
あからさまに嫌いを全面に出してくる娘を見ながら無力感に襲われます。
ひとりで必死に育てた結果がこれか‥とひとり泣けてくることもしばしば。
いつかいつか、娘がすべての状況を理解したときに私は救われるのでしょうか。
こんな至らぬ母でごめんね、と
育てさせてくれてありがとうという言葉を娘に送りたいのですが
いまこのタイミングで面と向かって言うのもおかしいように感じるし
もう少し自分の心の中に持っておくことにします。
けど、いつ死んでしまうかわからないし、伝えぬまま死んでしまうのはいやなので
たどり着けるかもわからないこんなひっそりとしたブログですが
人知れず書き残しておくことにします。